銘・品目 :
品種 :天然砥石 昭和中期の全鋼丸鋸挽 百切 仕上砥石 伝 大突 表善妙寺保管庫ノ出
最大寸法 :53 x 155 x 18 mm
おもさ :362g
硬さ 特性:硬い しっぽりてざわり これはおすすめ
このぼこぼこで雄々しい挽き跡、チップソーが出てくる前の時代の切断跡とのことです。
実は全鋼丸鋸の前は手挽きではなく、梅ケ畑平岡中所区内の向ノ地町中部や高鼻町の四郎兵衛工場にて戦前10年代後半より手挽きから切断から初電化され比較的高速C円砥+水切りで切り口は一見ダイヤ風。
鋸道切幅三~四分程度、水冷するも押し切られて赤やけの後もみられることもあり。
工場跡では大径ながら砕け散った円砥が落ちていることもあり、当たると痛そうでゾッとします。
全鋼丸鋸は戦後しばらくから昭和50年代で活躍とのこと。
全鋼丸鋸の遺物は善妙寺や広芝(善妙寺と平岡中所の間)のゲンゾウ、ウシケ工場跡で確認。
京都の電化は東の蹴上の水力発電に始まり、西は次いで梅ケ畑中島区御経坂町清滝川付近の山本系砥石職の所有する山林の提供を受け、
認可最大出力:250kW
常時出力:150kW
明治42年清滝水力電氣株式会社運転開始。
かつて村長を務め、銅像も遺る当時の山本系御頭首の尽力により早い電化が為せました。
現在も中島の取水堰は現役で、明治期において京の東西からの豊富な給電を為し、日本初の電車が京都で知られたり、平安神宮に鎮座なさるN電の腹を満たし続けることが出来たことへの布石となる訳です。
さて、その中島の隣村の善妙寺で平成半ばころまでKSサンバートラックを駆って砥石業を営み、この度の国道拡幅工事で保管庫の移動の際に処分を託されたものになります。
質的には普通軟鉄に目に見えて大きい傷がはいったりはなさそうですが、錬鉄や和鉄ではわかりません。
古くて面白遺物ということでご検討ください。
#330mateさゞれ銘砥
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